退廃的文明開化

気ままにノベルゲームの感想を投稿します。

『俺たちに翼はない』感想

鷹志くんおよび主人公たちの状態は病名付きだから、なんだかとっつきづらくて遠く思えるが、実際は極めて普遍的でありふれたテーマだと思う。小さいところでいえば、普段の生活の中でも思考や感情のベクトルが一方向でないことなんて、よくあることではなかろうか。電車の中で大声で泣き続ける赤ん坊を見てうるせーなと思う気持ちと、ガキはたくさん泣くくらいでいいんだと思う気持ちが混在するみたいに。母親からの連絡に鬱陶しいなと思う気持ちと、どこか有難いなと思う気持ちが混在するみたいに。多数の自己が内在しているような感覚がそれなりの頻度である。

 

 

ところで本作、若い時分にもプレイしたがタカシくんがどうしてもキツくて途中で投げてしまっている。悪意への鈍さも妄想の中で自己補完する逃げ癖も受け入れがたかった。恥ずかしながら恐らく当時は一番心が荒んでた時期で、まだ周りの人間を敵視して他者と馴れ合わないことが強さだと思っていた時期だったかと思う。(積極的ボッチだったともいう。今は消極的ボッチである。)

 

だから、悪意に対して毅然と対処できないこと、他者から見た自分を正しく認識できていないこと、周囲の空気を読んで孤独を選べないことが弱く見えて嫌いだった。・・・んだと思う。(自己分析は苦手です)


10年ほど経って再プレイした今、彼と彼を取り巻く全てを見ているとなんだか悲しくて切なくて、昔とは全然見え方が変わっていることに気づく。決して感性が大人になったとか優しくなったとかじゃなくて、本当は痛かったこととか、痛いだろうなってことを”痛い”と実感したのだと思う。それはつまり、それだけ痛い思いをしてきたってことで、ただ上手に生きられなかったというだけの話だから、この現在地はなんだか悲しいけれど、価値観の異なる他者に対して、見え方が違うと理解して受け入れることができるようになったのは、それなりに良かったんじゃないか。(想像力の豊かな人間になろうと思うんだ)

 

 

話を戻そう。タカシくんが見ている金色のフィルターを通した世界は美しくて、空想の中で自由に羽ばたけるけれど、ただ世界に取り残されている。でも、これは要するに他の人たちとは世界の見え方が極端に違うというだけだ。それが良いことなのか悪いことなのかまでは分からないけれど、少なくとも彼を心配する周囲にとって好ましくないからこそ、空想と決別したのだろう。ただ、決別したと言っても取り巻く世界が一変したわけではない。これは空想の殻を破って、現実に繋ぎ止めてくれる錨のような愛情を自覚した、言わば自己変革である。

 

つまり俺たちのいる世界そのものは変わらなくても、俺たちの世界の見え方は一つじゃないから、どこにチャンネルを合わせるのかが大事なんだろう。世界は金色に包まれてるし、包まれてないし、俺たちに翼はないし、ないこともないし、あるんだ。それが飾らない事実だと思う。

 

 

それでも本作では「金色に包まれている」とか「俺たちに翼はないこともない」とか「空を見ながら羽ばたいていけ」とかこっぱずかしくなるようなことを真剣に、そして印象的に伝えてくれている。だからこれは、俺たちがつまみを回せば変わるような世界にいるからこそのエールなんだろう。

 

いつの間にか見失ったウルトラマンセブンになりたかった俺。いつから素直に思ったことを言えなくなったんだろうか。いつから嫌われるのが怖くなったんだろうか。いつから友達を作れなくなったんだろうか。いつから人と関わるのが面倒くさくなったんだろうか。考えても分からないけれど、どうやら最低でも(最長でも?)10年程度の単位で物事に対する見え方は変わり続けているみたいだから、すぐには難しくても、どうせ生きていくしかないこの世界を僅かでも美しく捉えていきたいなぁと思う。


なんちゃって。

 

 

P.S. 明日香様が好きです。会話のテンポも歪んだ自己愛からくる重ための愛情もとっても好き。