退廃的文明開化

気ままにノベルゲームの感想を投稿します。

『BLACK SHEEP TOWN』感想

まずは素敵な物語に感謝を。登場人物たちの心中に触れたり、推測して共感したり理解した気になれる時が一番、物語を読んで充実していると感じる。そのため数多の登場人物たちの内面を違和感なく描写しながら、彼・彼女らや街を取り巻く事件を進行させた筆力は心から素晴らしいと思った。路地くんキミ、荒事より小説家のが向いているよ?

 

最後の最後まで褒めちぎるつもりでこの作品を読んでいたが、あのラストシーンは非常に違和感を覚えた。松子の記憶が蘇ったことも、亮が生き返ったこともイマイチ納得ができず不出来なパッチワークのような印象を受けてしまう。

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『俺たちに翼はない』感想

鷹志くんおよび主人公たちの状態は病名付きだから、なんだかとっつきづらくて遠く思えるが、実際は極めて普遍的でありふれたテーマだと思う。小さいところでいえば、普段の生活の中でも思考や感情のベクトルが一方向でないことなんて、よくあることではなかろうか。電車の中で大声で泣き続ける赤ん坊を見てうるせーなと思う気持ちと、ガキはたくさん泣くくらいでいいんだと思う気持ちが混在するみたいに。母親からの連絡に鬱陶しいなと思う気持ちと、どこか有難いなと思う気持ちが混在するみたいに。多数の自己が内在しているような感覚がそれなりの頻度である。

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『夢を確かめる』感想

物語は読み手の随意である。と僕は思っている。僕は僕の経験や思想を基に好きに物語を解釈することができるし、そういう読み方が好きだ。だから夢を確かめるは読み手賛歌であると思っている。

 

本作で幾度となく出てきた『終わるための様式美』である「了」「完」「おしまい」「終」は随意を不随意へと変容させる役割を持つ。概して物語の始めと終わりの基本構造は明示と暗示である。状況の明示、筋の明示、ジャンルの明示等々に未来の暗示、回答の暗示、次作の暗示等々。我々は明示されるがまま理解し、暗示されるがまま受け入れたり思慮してしまう。

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『毎日キスしてロリータ』感想

本作には夜のひつじ作品に頻出している(気がする)当意即妙な会話も少なく、互いにだけ伝わる魔法のような符丁もない。主人公は間違えてズレながらも、ただ愚直に重荷にならないように、負担にならないように、地雷を踏まないように会話していく。 
その距離感が心地よいのだろう。求められる姿と自分が乖離しない。というより、主人公はかざりにもみはとにも彼女たちが苦痛にならない自分であること以上を求めない。(作中では言及されなかったが彼女たちはソーシャルロールに適応できなかったのではないだろうか)
逆にかざりやみはとは家族だったり、恋人だったり、究極的にはだめになることを求める。

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