退廃的文明開化

気ままにノベルゲームの感想を投稿します。

マルコと銀河竜 感想




1.はじめに 


『マルコと銀河竜』に関して、僕の知っている限りではおおむね評価がよいように思える。
僕にとっても『マルコと銀河竜』は短いながらもノベルゲームの新たな境地を見せてくれたし満足のいくシナリオだった。個人的にはとゲー自体が好きな部類で、特に汚い世界にフォーカスを当てながらもポップで美しい魅せ方をしてくれるところが大好きなのだが、ご存じの通り彼のゲームはきちんと読もうとするとそこそこに難解である。何故なら地の文よりも会話文を主体としながら、他者とのやり取りや作中の寓話の中で諸問題へのアンサーを返すからである。他にも、あえて詳しく表現しなかったり結果をぼかす引き算の見せ方もするのがその難易度を上げているだろう。
本文ではそんな『マルコと銀河竜』の感想を読み、いくつか上がっていた疑問点について自己解釈に塗れた駄文で擁護するというオナニー試みをしようと思う。

 



と思っていたが、途中から完全に疑問点にこたえるという形式を維持できなくなったので、ただの感想としてあげる。








本感想はネタバレを多分に含むため、未プレイの方は注意ください。

 

2.母親について





母親死んだの?生きてんの?という疑問をみた。回想では頭ぶち抜かれてたり墓石の前に立ってるCGがあったりと、明らかに死んだようにみえる母親が何故か生きている。マルコが「最初からどこにもいなかったのに探しちまった」と言っていたり、ラヴが化けていたりもするので余計に混乱したことだろう。そもそも母親の掘り下げというか、父親の存在や恩田姉妹と母親の関わりについても特に言及はされていなかったハズなので、さらに母親という存在が疑問視されることだろうが、結論から言えば、これは生きていると解釈していいのではないかと思う。





根拠を挙げよう。作中ではアルコがマルコの記憶を食べたことが判明している。その結果としてマルコは母親との思い出を忘れたのだが、同時に死んだはずの母親が生きているという結果を生み出している。明らかな因果の捻じれがあるのだ。
銀河竜とは作中でいえば情報を喰らう竜である。よって、より正確に言えば『マルコ個人の中にだけある悲しいという気持ちを想起する記憶』ではなく、『マルコが悲しいと感じた出来事の結果そのもの』という膨大な情報を喰らったのだと思われる。その作用が副次的に結果に関する記憶とそれらに起因する気持ちをも喰うこととなるのだ。もし、マルコ個人の記憶を喰らっただけであれば、マルコが母親を忘れることはあれど母親がマルコを忘れる道理はないからである。仮に母親が特別忘れっぽいという設定にせよ、終盤、満身創痍のアルコに対してマルコが宝の記憶を食べてほしいと嘆願するシーンで、喰らう本人であるアルコが「キミはボクを忘れるし、ボクもキミを忘れる」と言っていることからも、この推測は恐らく間違いないだろう。
マルコの銀河の果てと何一つ変わらない悲しみを、その気持ちを生んだ母親の死という情報ごと喰らったことにより、マルコとマルコの母親は互いの存在を失ったのだ。



さて、では何故悲しみという情報を喰らうと相手への執着や記憶が薄れるのだろうか。それについては以下で説明していけたらと思う。

3.ラヴについて 





ラヴとは愛をもって惑星を侵略する生命体であることが作中にて明かされた。銀河竜が結果を喰らい気持ちを消す生命体とするのであれば楽しかった思い出や嬉しかった思い出とそれにまつわる気持ちを強制的に植え付けるのがラヴであると言える。
そうした侵略の対処法として挙げられたのが「ホンモノにはイヤな思い出がある」であることからも分かるように、たとえ、どれだけ親しい間柄であっても他者に対し愛と形容できる単一の感情のみを抱くことはあり得ないというのが本エピソードの主張である。悲しみや憎しみ、妬みに怒りなど様々な形を持った他者に対する悪感情の受容と共存を説いたことは、マルコとアルコの心の成長や銀河竜が起こす現象を我々が理解するために必要な寓話であったと言えるのではないか。

4.アルコについて 





アルコは上述したように、あくまで情報を喰らう竜であり人間の肉体を食べてきたわけではないと思われる。食べられた結果その存在が世界から消えるのではなく、彼女が仲よくしてきた様々なモノたちは彼女に悲しみを喰われることで救われて、そして救われた事実すらも忘れて離れてゆくだけである。悲しみには喜びが潜み、楽しさの裏返しでもあり、隣人でもあることはラヴを通したエピソードでみたとおりだ。アルコと共に過ごす時間が長ければ長いほど悲しみを消す際の代償も大きくなるのである。




ホンモノにはイヤな記憶が付きまとうように、悲しい記憶だけを都合よく消すことはできない。思いあえば思いあうほど質量が増し、必然的に互いが互いに対する気持ちを生む結果ごと喰らわねばならない。喰らうたび相手への執着すらも失われてしまうアルコの悲愴な孤独をいったい誰が知るだろうか。「ねむればすぐに、忘れちゃうのさ」というセリフにはそうした繰り返しへの失意や寂寥のほかに、どこか悔しさや憎しみが感じられてならない。
そしてこれは、母親に関する記憶を喰らったときも同様である。だからこそマルコが自分を忘れ、息子と共に過ごす母親に対して憎まないことが不思議で仕方がなかったのだろう。それは自分にはない感情だからだ。だがしかし、だからこそアルコはマルコの視点に立ち、大切なことに気づくことができたのだ。




5.さいごに 





本作は一見すると関係ないかのように感じられるぶつ切りのエピソードを繋いで、宝物のように煌めく大切な気持ちに気づくマルコとアルコの物語である。マルコの過去というパンドラの箱を開け、ラヴによる愛やアスタロトによる怒りや憎しみなどの暴力的な感情、ハクアの魅せた妬みや後悔など様々な感情の奔流を経て最後に希望を残す演出は心地のいい読後感を与えてくれた。
大切な気持ちに気づくきっかけやその気持ちの大切さを読み手にも伝わりやすく配置する構成力には頭が下がる。圧倒的なCG枚数やBGMも含めて本当によくできたゲームだった。終わり方に不満を抱いている方も一定数いるようだが、この感想がそうした不満を解消する一助となれば幸いである。