退廃的文明開化

気ままにノベルゲームの感想を投稿します。

『ヘンタイ・プリズン』感想




テーマ自体はそこまで複雑だったり画期的なものじゃなくて、子供から大人になっていく姿を、様々な要素を絡めて表現した作品だったと思っている。恋愛で主人公の歪みが矯正される個別√は省略し、グランド√に焦点を当てていきたい。

 








本作では外せない要素の一つである露出行為は他者に自分を見てもらいたいという気持ちの発露である。だが、なぜ数ある自己表現の中から露出が選ばれたのか?それはアマツくんの存在を知らしめることが自分が孤独ではないことのアピールを兼ねていたからではないかと思う。

作中でアマツくんが「誰にも認識されないアマツくんを不憫に思った柊一郎が優しさから露出した(意訳)」と絵理子先生に説明するシーンがあったが、本質はもっと利己的で幼子のような偏執ではないかと思う。自分には素晴らしい友達がいるのだと不特定多数の他者に叫喚するかのような行為は、周囲に無視され続けた柊一郎にとって、唯一自己を肯定できる手段であり、空想上の他者を憐れむことは歪曲的に自己を慰める手段にもなっている。(だが当然この露出行為は、アマツくんが自身の生み出した副人格である以上、どこまでいっても自己愛にしか繋がらず、正しい自己承認は成されない。)

ところで、空想上の他者(その実の自己)によって自己承認を図ろうとするのは、要するにさよ教と同じなのだが、おちんちんに人格が宿るという荒唐無稽さがQruppoクオリティである。きっとおちんちんは息子と称されるように自身の相似形であるとでも言いたいのだろう。知らんけど。







性犯罪予防の観点から見るアダルトコンテンツの在り方はぬきたしでも語られていたことと重なる(→望まぬ性行為を避けるために多様性を認めてゾーニングすること)ので割愛する。この作品において肝要なのは性犯罪がなぜ起きるのか?を考えることにある。

性犯罪は他人のことを思いやれないから起こすのだとの主張があったが、その主張をした柊一郎はドローンで教会を爆撃し、洗脳されている囚人を危険な目に合わせている。結果的に大きな人的被害はなく、我妻樹里亜という目下の障害を取り除いたため問題視されなかったものの、「思いやり」を持った人間には決断できないやり方であることは間違いない。事実アマツくんには賛同されなかった手段であり、ヒロインによって愛を知った個別√では取らなかった手段だ。







本当の意味で他者を思いやるためには、他者を知る必要がある。つまりは他者と交わることのなかった自己の境界を広げることが不可欠だ。だが、境界を広げて他者の境界と交わるのであれば、そこには摩擦も生まれる。そうした他者と関わりを持つことによって生じる理不尽を解し、「逃げる」「対抗する」「周囲に頼る」などといった様々な対処する術を知ることが大人になるということである(自己のみで完結している人間に「大人」「子供」という区分は意味をなさない)。すなわち、ぬきたしを想起するような性犯罪とアダルトコンテンツの相関性についての論争をしながらも、性犯罪がなぜ起きるのか?防止のためにどうすればいいのか?を考えさせることで自己承認における重要な気づきを与えているのだ。誰が教えるでもなく、話の流れをもとに主人公に考えさせている。これは非常に上手い手法だと思う。






閑話休題。そして柊一郎は死刑執行前に、自己の存在証明は他者に見てもらう、認めてもらうことによって成立することに気づく。露出行為の代替案であるゲーム制作による自己表現も、ただ一人で行うだけでは同等の効果は得られない。自己の表現したいことを他者が理解した上で一緒に形にしてくれることこそが、柊一郎にとって最も大事なことだったと気づくことで、"大切な人たちを逃がすことと、ゲームを完成させることが目的であり、自分が生きることは重要ではない"と考えていた柊一郎は死に、生きたいと叫ぶのだ。露出行為によって自身を慰めていた歪んだ自己愛は消え、自分を大切にすることが出来るようになったのである。







さて、まとめてみたのがまるっきり見当違いではなければ、テーマ自体は非常にありふれているんじゃなかろうか。それでも、生きづらい人たちの背中を押してくれようとするかのようなパワフルさは、創作の力を改めて実感させてくれる。自己愛すらも他者に愛されなければ歪むなんてままならねーな、なんて考えながら、半端に大人になったと感じるからこそ、見守ってきたキャラクターたちがお互いに助け合いながら成長してくれたこの作品が好きだし、プレイしてよかったと心から思えた。




※雑感
とにかく笑いながらプレイできたのが良かったなぁと思います。めちゃ面白かったと言っても過言ではありません。分からないネタも多かったんじゃないかと思いますが、パロディも楽しめたし、テキストが笑えるだけじゃなく、キャラクターの動きやボイスのタイミングなどの緩急で笑いに大切な間をうまく演出しているのが凄いなと思いました。


ここの一連の流れ好き




ここも好き




グランド√のおまけにあった絵理子さんとの赤子セックス、控えめに言って”最高”だった。